創作家・氷見拓也を
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初めましての方、いつも応援してくださっている皆さま、閲覧ありがとうございます。創作家の氷見拓也です。
私は2008年から東和創研という屋号でデザイナーとして活動しており、グラフィックデザインやウェブサイトの制作などで生計を立てています。
これまで数々の廃業の危機が有りつつも10年以上営んでまいりましたが、制作活動を続けることはとても難しいことです。
今までも何度も挫けそうになりましたが、その度にファンの皆さまに支えられ、何とかやってこれました。
そんな既存のファンの皆さまに何か出来ないか、もっと氷見拓也の事を知っていただくにはどうしたらいいか、
もっと応援したい!という方に何かお返しが出来ないかと考え、
このパトロン募集プロジェクトを立ち上げました。同時に、新たな事業として、木彫刻を加え始動しました。
大変長い読み物になりますが、私の考えやサラリーマンを辞めて事業者を選んだ正直な過去の変遷、創作家として生きていこうと決めた理由等を、包み隠さず書きつづります。
是非、最後までお読みいただき、私、氷見拓也を理解いただき、少しでもファンになっていただければ、この上ない喜びです。
会社勤めを辞めた本当の理由
私は大学卒業以降、普通のサラリーマン生活を送っていましたが、2005年のある日突然、膠原病(慢性関節リウマチ)を発病してしまいました。
最初は右足の親指の付け根が赤く腫れ、歩く事など到底出来ない、
万力で骨を潰されているような、じっとしていても泣きそうな激痛でした。
会社を早退し、最寄りの病院で診察していただいた結果は「痛風」ではないか、という結果でした。
消炎鎮痛剤を飲み、あぁ、もうビールは飲めなくなるなぁ…程度に落ち込んでいましたが、
痛風とは違う異変が起きたのはその日の夜の事でした。
赤く腫れあがって痛かったはずの右足の親指の付け根。
ところが腫れも痛みもまるで無かったかのように、いつの間にか正常になっていました。
が、今度は同じ症状が左肩に現れ、激痛にのたうち回りました。
じっとしていても痛みが激しいので、腰痛用のコルセットで左腕を胴体に巻き付けて固定し、
左腕が動かないように気にしつつ、左肩を圧迫しないよう座った状態で一夜を過ごしました。
ところが翌朝。そんな状態だった左肩が、また何も無かったかのように正常に戻っているではありませんか。
しかし今度は右手の親指が赤く腫れあがり、万力で関節を潰されているような激痛でした。
とりあえず会社に行かないといけないので、その辺にある新聞紙を丸めて親指にあてがい添え木のようにして、
テーピングで固定し、出勤。
対外的な職務でしたが、車の運転が辛く、内勤予定に変更して様子をみましたが、
パソコンを打つだけでも振動や圧迫で激痛が走るので、片手業務をしていました。
そしてお昼を迎えようかという頃、何となく痛みが引いたような気がしたのでテーピングを外してみると、
またも、腫れも痛みもすっかり消え去っていました。
しかし、またもや、今度は右足の付け根に激痛が。
椅子にも座れず、固定も出来ず、早退するにも帰宅も出来ず、
休憩室で横になって休むしか出来ない状態に。
発症してからは毎日こんな様子で、仕事どころか生活にも支障が出るような状態だったので、
当分の間は連日、色んな病院に通う日々になってしまいました。
そんな中、とある病院の内科の先生とご縁があり、もしかしたら「膠原病ではないか」という事で、
血液検査は勿論、色んな検査をしていただく事に。
中でも、血液中に放射性物質を投与するシンチ検査というものは、
少々吐き気をもよおしたり、私にとっては辛いものでした。
そして、検査の結果は先生の予想通り「膠原病」で、関節リウマチの初期状態でした。
ただ、初期とはいえ、関節リウマチは自己免疫疾患という事で、
色々と専用の薬も出していただきましたが、完治に向けての治療ではなく、
関節が変形したり、症状が酷くならないように付き合っていく、という治療でした。
どういう病気なのかはっきりしただけでも少しは気分が楽になりましたが、
いつどのように症状が出るのか分からない不安感、
そして表現のしようがないこの痛みと状態が悪くならないよう気を遣い続けないといけない負担、
これらと付き合い続けていかないといけないと思うと、
えも言われない精神状態になっていきました。
関節リウマチである事が判明して薬の服用を始めてからも、それまでと変わらず、
全身の関節や腱・筋肉の繋ぎ目に、半日毎に激痛箇所が移っていく日々が続き、
仕事どころか生活もままならない状況でした。
場所によっては食事も出来ず、毎日毎日どこかしらテーピングで固定しての出勤、
かと思えば動けなくなる場所が痛み会社を休む。
当時の上司には「さっさと治療しろ」とか「生活習慣が原因だろ」と言われたのに対し、
感情的に怒鳴って反発したり…
何でこんな目に合わないといけないんだ!と、被害者意識も強くなり、心に余裕も無くなり、
今思えば、かなり精神的に追い込まれた状態でした。
そんな中、当時の社長から、実は会長のお母様は膠原病で亡くなったんだ、という話を聞き、
半年、一年、会社を休んで、自分に合う病院を探して、治療に専念してもいいよ、
と言葉をかけてもらって、すごく救われた気持ちになった事を覚えています。
理解があるからこそのお言葉だったと思いますし、
身内に膠原病の方が居て直面していたからこその理解だったと思います。
結局、休業して病院探しをする事はせず、
常に痛み止めの服用と症状の出た患部の固定で出勤を続けましたが、
あのお言葉は今でも感謝しています。
その後、半日毎に患部が移動するような酷い症状は1日2日毎の発症と少し落ち着きましたが、
雑巾がけのように強く力をかけた状態での運動や、
反復運動をした後には必ず、即症状が出るような状態になっていきました。
骨を潰されるような痛みの程度は相変わらずでしたので患部の固定はやめられず、
テーピング姿に対して「ボクサーか」と嫌味たっぷりで冷やかされる事もままありました。
後、自分的に少し嫌なのは、肘をついたり足を組んだりして、
同じ箇所に力を加えていると、すぐにコブが出来てしまう体質になった事。
まぁこのコブは、戒めのつもりでそのまま飼っています(笑)
そんなこんなで複数年、会社勤めを続けましたが、
突然痛みで動けなくて出勤出来なかったり、お客さまとのアポを反故にしてしまったり、
痛みが出るのを恐れて作業を避けて同僚に不信感を与えてしまったり…
そういう状態での会社勤めは難しいですし自分的には負担にもなっていたので、
個人事業主になる事に決めました。
その時々の状態に応じてペースも自分で調整出来ますし、
療養・治療も兼ねて、自宅事務所でのデザイン屋さんの道を選びました。
木彫刻を新たに始めた本当の理由
私は元々、デザイン系の学校などで学んだ経験も知識もありません。
仏師を目指す訳でも、彫刻一本で生きていく訳でもありません。
ではなぜ、これまで手掛けてすらいなかった木彫刻を新たな事業として加えたのか?
大きな理由は二つあります。
木彫刻を新たに始めた理由其の一
これまで主業としてきたデザイン制作やWeb構築は、俗にいう商業デザインの分野です。
クライアント様のイメージを代弁者としてカタチにするモノづくりです。
当然、お仕事としてのご依頼ですから、ご予算もあれば納期もある。
特に、この納期の面が大きく、自分の身体や病気の問題を抱えたまま、
この先も変わらぬペースとスタンスで対応し続けていけるのだろうか…という不安を軽減するため、
というのが、一つ目の大きな理由です。
私は、何歳になろうと関係無く、頭と体が動く限り、生涯現役でこのお仕事をやり抜くと決めています。
しかし、今の業務内容では、曜日や時間も関係無く、当然徹夜もざらにある。
1日20時間稼働で寝る間も無く、起きている限り作業をしている事も多く、
「なかなかアポイントの取れない氷見さん」として有名になった時期もありました。
そんな多忙を極め、今でいうブラックとも取られかねない状況は、
年齢的な事や前述した病気の事を考えると、いつか破綻してもおかしくないな、と思っています。
かといって法人化し従業員を雇う方向では、私のテイスト、氷見デザインのファンの皆さまのご希望にお応えし切れない。
だとすると、私の稚拙な頭脳では、
- 1件1件の制作価格を大きく設定し、件数は受注制限をして少なく抑える。
- 今とは全く異なる事業に転換するか、投資・資産運用等での収益を主にする。
- 現時点では100%ご依頼を受けて制作するという割合を下げ、自己発信型の制作割合を上げていく。
くらいしか考え付きません。
私は、①を行えるほど社会的に認知・評価されているデザイナーではありません。
ご縁をいただいた全ての人に、私のテイストで満足していただき、笑顔になっていただくこと、幸せな気持ちを感じていただくことを常に求めているので、②はあり得ない。
となると、③の方向性で進めていくのが妥当かと考えています。
ではなぜ木彫刻なの?という点ですが、これは100%、直観です。
私は絵を描くのも好きです。非常に細かい作業も好きです。大工仕事なんかもたまにします。それなりに器用だと自負しています。
逆に、全く同じ事の繰り返し作業は苦手です。答えの決まっている事を遂行するのも苦手です。数字はやや苦手です。
カタチが無いものを考え発想する事や、頭の中にあるイメージに基づくモノづくりが、基本大好きです。
機械的なモノづくりや無機質なモノづくりはあまり好きではなく、
例えば写真加工一つにしても、便利なツールで背景を切り落としたり邪魔な被写体を消し去ったりせず、あくまで手作業で、違和感が無くなるまで細かく加工します。
直線的にスパッと簡単に切り取らず、手の感覚でしか再現出来ない自然な凹凸や歪みを大切にしたいからです。
これまでの人生で、時間を忘れて熱中出来た手作りしたモノの中で、仕事として結び付けられる可能性があるものは、絵と彫刻でした。
ただ、これは私の欲の問題ですが、自分がカタチにしたモノを、「物」として身近に置いて欲しい。
その結果、笑顔になっていただいたり、ほっこりした気持ちになっていただいたり、幸せな気持ちを感じていただきたい。
自然の素材でしか伝えられない優しい雰囲気、手作りでしか表現出来ない柔らかな雰囲気、それを大切にしたい。
だからこそ、木彫刻を選択しました。
これが、一つ目の大きな理由です。
木彫刻を新たに始めた理由其の二
二つ目の理由、それは、事業所・住居の移転です。
少し私的な事になりますが、私は生まれは東京ですが、育ちは幼少期から高校卒業まで四国の高知です。
現在は広島県福山市に居を構えて活動していますが、いずれは高知に戻りたい、とぼんやりと思ってはいました。
そんなこんなしている内に、両親は高齢になり、今更ながら親孝行をしてこなかった事への後悔が日増しに強くなり、
両親が健在な内にほんの少しでも恩返しをしたい。そんな想いが強くなってきていました。
そんな中、詳細は伏せますが、無理なく毎日でも実家へ通える範囲の距離で、両親の日常的な補助が出来た方がいいな、という出来事があり、
急転直下、高知へUターン移住する事となったのです。
住居はたちまちの仮住まいでも何とかなりますが、問題は事業をいかに持続可能な状態にするか。
弊社は一般消費者ではなく企業相手のお仕事をほぼ100%としており、
これまで守備範囲にしていたといいますか、多くお声掛けいただいてきた業種は、
主に建設業、製造業、教育・学習支援業、医療・福祉、運輸業、その他のサービス業、が多く、
移住先となる高知県は、人口減少・高齢化の問題はさておき、
卸売・小売業、宿泊業・飲食サービス業、の事業所比率が高い地域です。
つまり、これまではじっくりと腰を据えて戦略的にモノづくりをする割合が高かったのに対し、
これからは、短期・単発で一般消費者に向けて訴求させるモノづくりの割合が高くなる、という土壌になります。
後者は、どちらかといえば、これまでは敢えて遠回しにお断りしてきた分野です。
こだわる部分にあまり力と時間を注げず、短納期・低価格で数をこなさなければならない。
A is good. So buy it.のテイストのモノづくりは、
クライアント様と同じ立場・目線で一緒にモノづくりをする、というスタンスではない事が多く、
私が求めているものではなく、また前述してきた病気と付き合っていくには身体への負担がこれまで以上に重くなる、という事です。
また、事業所数そのものについても、これまでの広島県13万4,000社だったのに対し、高知県3万8,000社と、その差は歴然。
つまり、それだけクライアント様となる企業様との出会いの機会が少ない、という事になります。
企業様相手にお仕事をさせていただいてきたこれまでの体制ではかなり厳しくなる事が、予想されます。
色々と考えた結果、お世話になっている提携先企業様のご協力をいただき、
これまでの広島県福山市には営業所を対応窓口として残します。
リモート会議もコロナ禍ですっかり定着しました。
初回の打ち合わせ以降は、そこまで対面ですり合わせをする必要の無い分野ですので、
移住後もあまり変わらず対応は可能です。
しかし、やはり活動拠点のある地元をメインの対象とするなら、
一般消費者の皆さまを対象とした新たな商材・サービスを構築していく必要がある。
というのが、二つ目の大きな理由です。
パトロンプロジェクトへの参加を検討いただくにあたって
ご依頼をいただいてゼロから創り上げる商材の比率を下げ、自己発信型の商材の比率を上げる事によって、
自分の身体と会話しつつ、病気とも付き合いつつ、両親の手助けもしつつ、ある程度自己都合、自分のペースでモノづくりをしていきたい。
ただ、未経験で駆け出しの彫刻作家が制作活動でいきなり生計を立てていくことは、まず不可能です。
クオリティについても、制作していく中で時間をかけて徐々に上げていくしかないと考えています。
そのため、皆さまからのご支援を賜りたく、パトロンプロジェクトとしての活動を始めました。
ご支援いただいた資金は全額、工房の賃料、設備費、材料費、作品の輸送費など、創作活動全般に充てさせていただきたいと考えています。
ご縁をいただいた全ての皆さまに、笑顔になっていただいたり、ほっこりした気持ちになっていただいたり、幸せな気持ちを感じていただきたい。
残りの人生で、その想いを何とか叶えたい。
以上の想い、考えをご一読いただいた皆さまに、当プロジェクトへご参加いただけますと、幸いです。
最後に、普通のサラリーマンを辞め、個人事業主としてこれまで10年以上も事業を営んでこれたのは、
私の作風を評価していただいた皆さま、氷見拓也のファンとして応援してくださった皆さまのおかげです。
感謝は言い尽くせません。心から感謝申し上げます。ありがとうございます。
氷見 拓也Takuya Himi
RETURN 参加いただいた皆さまへのリターン
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支援額500円/月の場合
2か月毎にミニ作品(箸置き)を提供いたします。
- 箸置きサイズ
- モチーフは選べません。
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支援額1,000円/月の場合
2か月毎にストラップを提供いたします。
- サイズは高さ20mm程度
- モチーフは選べません。
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支援額1,500円/月の場合
3か月毎にストラップを提供いたします。
- サイズは高さ25mm程度
- モチーフは選べません。
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支援額2,000円/月の場合
4か月毎に置物を提供いたします。
- サイズは高さ30mm程度
- モチーフは選べません。
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支援額5,000円/月の場合
4か月毎に置物を提供いたします。
- サイズは高さ40mm程度
- モチーフは選べません。
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支援額7,000円/月の場合
4か月毎に平面作品を提供いたします。
- サイズは200mm×200mm×20mm程度
- モチーフの希望は大まかには伺います。
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支援額10,000円/月の場合
内容準備中です。
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支援額15,000円/月の場合
内容準備中です。
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支援額20,000円/月の場合
内容準備中です。
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支援額50,000円/月の場合
内容準備中です。
-
支援額100,000円/月の場合
内容準備中です。
PROCEDURE 参加手続きについて
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01支援の申し込み
まず、次のボタンから参加フォームへ進み、支援の申し込みを行なってください。
- 参加希望のコース及びフォーム内の必要事項を入力し、送信してください。
- フォーム送信後、自動返信メールをお送りします。メール本文内に支援金のお支払いに関する記載をしていますので、ご確認ください。
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02支援金のお支払い
自動返信メールに記載のお支払い方法で、支援金のお支払いを行なってください。
- 参加フォームに入力されたご氏名とお支払いの際の名義が異なる場合は、参加フォーム内のコメント欄に記載いただくか、決済の際のメッセージ等で分かるようにしていただくと助かります。
- お支払い方法は、当面の間はお振り込みでのお支払いに限らせていただきます。
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03当方からのご連絡
支援のお申し込みをいただいた後3日以内程度に、お礼を兼ねてメール連絡をさせていただきます。
- 返礼品の製作・発送予定等については、この段階でご連絡させていただきます。
- 参加希望のコースによっては、モチーフの内容についてのご希望を伺います。
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03返礼品の発送
製作完了次第に発送させていただきます。
INFORMATION 最新のお知らせ
- 2023.06.05 パトロン募集プロジェクトを開始しました